日本で初めてのクリスマスは、1552年に現在の山口県周防において宣教師たちが日本人信徒を招いてのミサであった。
「trivia」とは「雑学・些末な」という意味。ムダな雑学紹介します。
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コロンブスが新大陸発見後ヨーロッパに持ち帰り、以後世界に蔓延したといわれる(異論もある)。抗生物質のない時代は確実な治療法はなく、多くの死者を出した。慢性化して障害をかかえたまま苦しむ者も多かったが、現在ではペニシリンなどの抗生物質が発見され、早期に治療すれば全快する。罹患患者も減少しているが、根絶された訳ではない。
1476年、当時有名な男娼だった17歳のヤコポ・サルタレリにモデルとして連絡を取ったことで同性愛者として匿名で告発されている。他の3人の若い男性とともに同性愛者として容疑がかけられたが、証拠不十分で放免されている。しかし以後、レオナルドと3人の男性はフィレンツェの "夜の士官"(ルネサンス期の風紀取締り役のようなもの)から監視を受ける。 レオナルドの伝記を書いたロバート・ペインは、レオナルドが男性女性を同様に愛することができたと確信していたようである(娼婦との付き合いも彼のメモに残されている)。彼のノートの一部分を抜粋して彼の性的嗜好を断ずるのは容易いが、現時点で確たる結論は出ていない。
この事件で津田を取り押さえるという思わぬ功績を挙げた人力車夫、向畑治三郎と北賀市市太郎の二人は、事件後18日夜にロシア軍艦に招待され、そこでロシア軍水兵からの大歓迎を受けた。そしてニコライから直接勲章を授与され、当時の金額で2千5百円の報奨金と千円の終身年金が与えられた。日本政府からも勲八等の勲位と白色桐葉章、年金36円が与えられた。当時、低い身分の職と見なされていた人力車夫に勲位と勲章を与えることはきわめて異例であり、その後も二人は国内で「帯勲車夫」と呼ばれ一躍英雄として脚光を浴びることとなった。
しかし長続きはせず、前科のあった向畑は博打と売春、怪しげな投機話に明け暮れ、日露戦争が始まり年金が停止されると惨めな晩年を迎えた。北賀市は堅実に郷里の石川県で田畑を購入し地主となり、勉学を重ね郡会議員にまでなったが、日露戦争が始まると露探(「ロシアのスパイ」の意)扱いをされ、辛い生活を余儀なくされた。
畠山 勇子(慶応元年(1865年)12月 - 明治24年(1891年)5月20日)は明治期の女性である。1891年の大津事件で日露関係が緊張した際、京都府庁前で事件の被害者・ニコライ皇太子への謝罪の遺書を残して自殺した人物として有名。
事件や社会の騒動を知ってにじっとしていられなかった勇子は汽車で京都へ旅立ち、様々な寺を人力車で回った後、5月20日の午後7時過ぎ、京都府庁前で死後見苦しからぬよう両足を手拭にて括って、剃刀によって咽喉と胸部を深く切り、自殺を謀った。しかしすぐには死ぬことができず、医師は治療を施したが、傷の深さゆえついに絶命した。
帝政ロシア末期の祈祷僧ラスプーチンは当時、不死身であるという噂があった。その最期は、青酸カリを盛られたが平然としており、祈りを捧げていた時に背中を銃で撃たれたが、死なずに逆に追いかけてきたので更に4発拳銃を発射し、そのうち2発が命中。転倒した所に殴る蹴るの暴行を加え、窓から道路に叩き落したのにも関わらず生き延びたので、最後には氷に穴を開けて川に投げ込んだと言われる。検死では、肺に水が入っていた(これは水中でも呼吸をしていたことを意味する)ため死因は溺死とされた。
建国当初のボリビアは、現在よりもはるかに広い領土を持っていたが、チリ・ブラジル・パラグアイとのそれぞれの戦争に負け大きく領土を割譲している。 特に、かつては太平洋に面する領土を保有していたが、チリとの戦い(太平洋戦争)に敗れバルパライソ条約(1884年)により国境が確定、海岸線を全て失った。
3月23日を「海の日 (dia del mar)」として「海を取り戻そうキャンペーン」をおこなっている。また、チチカカ湖で"海軍"の演習を行っている。
もう一つの太平洋戦争は、1879年から1884年にかけて、南米のボリビア・ペルー同盟とチリの間で行われた戦争である。
南米大陸太平洋岸の資源地帯を巡る戦争であった。係争3カ国の主要鉱石が硝石であったことから硝石戦争とも呼ばれる。
メキシコシティでの試合から約2週間後の7月10日、エルサルバドル空軍のF4UコルセアとP-51Dの混成編隊は、ホンジュラスの首都テグシガルパ郊外の空軍基地を空襲し、戦端が開かれた。両国空軍のF4Uコルセア戦闘機同士が激しい空中戦を繰り広げ(ホンジュラス側がエルサルバドル側を3機撃墜。レシプロ機によるレシプロ機の撃墜は、これ以降は2007年2月末までのところ、世界的にも発生していない)
1969年6月27日、メキシコシティで行われたサッカー・ワールドカップメキシコ大会の予選準決勝プレーオフ「エルサルバドル対ホンジュラス戦」は、3-2でエルサルバドルの勝利に終わった。
これを契機に激化したホンジュラス国内の反エルサルバドル感情を背景として、試合終了後、ホンジュラス政府は国内に居住する全てのエルサルバドル人不法入国者を対象に強制送還を開始した。これに対し、エルサルバドル政府はホンジュラス政府を公式に非難、両国の国交は断絶し、戦争となった。
マリリン・モンローは1962年8月に36歳で死去。死の直後、マスコミでは死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様と大々的に報道され、世界に多大な衝撃・悲嘆が駆け巡った。
モンローを司法解剖した監察医は、トーマス野口こと野口常富である。よく日系2世と間違われるが純粋の日本人である。
オーストラリアで用いられている、長大なトラックのことをロードトレインと呼ぶ。コンテナを積載したトレーラーを大型トラックに複数連結し、ハイウェイを利用して大量の貨物を輸送する。その長さは100mを超えることもある。
ロードトレインは主に、鉄道網の発達していない地域に大量の物資を輸送するための手段として用いられている。特に近年まで鉄道が完成していなかったダーウィンに向けてのアデレードからの輸送に多く利用された。オーストラリアの大陸中央部の道路は直線部分が非常に長いため、100mを超えるような車両でも時速100kmという高速で走行可能であり、この地域では多くのロードトレインが見られる。
文部省(現在の文部科学省)が編集した『小学唱歌集初編』(明治21年(1881年)発行)に掲載されている歌詞は、現在のものよりも長く、幻と言われる2番が存在する。曲はイギリスの古い賛美歌から採られた。
1. 君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで うごきなく常盤かきはにかぎりもあらじ
2. 君が代は千尋の底のさざれ石の鵜のゐる磯とあらはるゝまで かぎりなき御世の栄をほぎたてまつる
女王(国王)陛下万歳または、神よ女王(国王)を護り賜え(God Save the Queen(King))は、イギリスの国歌。又、ニュージーランドの国歌の一つ。
在位している王が男性の場合は、Queenの代わりにKingを、herの代わりにhimを用いる。
1769年、フランス陸軍の技術大尉ニコラス・キュニョーが製作した蒸気自動車は、前輪荷重が重すぎて全然曲がらない造りで、時速約3キロしか出なかったにもかかわらず、パリ市内を試運転中に塀に衝突。交通事故の第一号だった。その後、キュニョーは牢に入れられてしまった。
5000年前の中国で、煮えたぎった鍋から食べ物を取り出すのに二本の木の枝を使ったのが箸の始まりと言われている。 その後孔子が厨房やと畜場でしか使わない刃物の、食卓上での使用に反対した。君子厨房に近寄らずの格言に反するからである。 そして料理はあらかじめ厨房でひと口大に、箸にとりやすい大きさに切りそろえられ、食卓に出されるようになったので、箸が普及していったと言われる。 現在、日本・中国・台湾・シンガポール・ベトナム・モンゴル・韓国・北朝鮮などの国で使われている。
生の漆が肌につくとかぶれるが、これはウルシオールによるアレルギー反応である。ウルシオールのアレルギーを持つ人は、漆の木の近くを通過しただけでもかぶれることがある。果物のマンゴーもウルシ科の植物で人によってはかぶれる事があるので注意が必要。
漆器ではかぶれることは無いが、まれに、作られて間もない場合、かぶれる事もある。これは重合され残ったウルシオールが揮発するためである。十分に重合が進んでいれば、かぶれない。
『毛皮を着たヴィーナス 』など自伝的な作品で、身体的精神的苦痛を性的快楽と捉える嗜好を表現したオーストリアの作家ザッヘル=マゾッホの名前に由来してこう呼ばれる。マゾヒズムの概念を提唱したのは、クラフトエビングである。
彼の名は、サディズムの語源として広く知られているが、サド自身はサディストであると同時にマゾヒストでもあった。
不品行のかどで何度か投獄され、獄中にて精力的に長大な小説をいくつか執筆した。 それらは、リベラル思想に裏打ちされた背徳的な思弁小説であり、また空前のサディスティックな小説でもあった。そのため、19世紀には禁書扱いされており、ごく限られた人しか読むことはなかった。サドはフランス革命直前までバスティーユ牢獄に収監されていた。後にナポレオンによって狂人とされ、精神病院に入れられそこで没した。
駅馬車強盗が駅馬車の御者を呼び止める時に「Hi,Jack!」(やい、おめぇ)と声をかけた事から来ていると言われ、現在に至っている。したがって、対象が船でも車でも、乗り物を乗っ取る行為はすべて「ハイジャック」である。
中華まんを初めて作ったとされるのが三国志で有名な諸葛亮である。「川の氾濫を治めるためには野蛮人の頭を川に投げる必要がある」との言い伝えを聞いた諸葛亮はこの言い伝えに納得がいかず、人の頭を模した饅頭を作り、それを川に投げ込んだ。すると不思議な事に氾濫は治まり、以来川の氾濫を防ぐため饅頭が投げられた、というエピソードがあり、この饅頭が言うまでもなく中華まんの原型である。
鋳鉄のフレームにガラスをはめ込んだ水槽を使用した魚の展示が、1851年のロンドン万国博覧会で行なわれた。これにより水槽で魚を飼育することがイギリスで趣味のひとつとして人気を集めた。
初期の動物園は、主に王侯が所有し、政治的に修好関係を結ぶ、あるいは影響下に置いたり植民地として支配した国・地域から珍しい動物を集めてきた私的な施設であり、ヨーロッパや中国などで作られた。一般公開された動物園として最も早いのは、フランス革命の後に公開されたパリ動物園である。
1910年1月31日に、九段偕行社で加藤清正300年祭に関する相談会があり、その際に乃木を含めた出席者一同が蓄音機に肉声を吹き込むという余興が行われた。その最初に吹き込まれたのが乃木の「私が乃木希典であります」という声である。1930年12月に小笠原長生の解説(相談会の出席者でもあった)を付して「乃木将軍の肉声と其憶出(乃木将軍の肉声)」として発売された。現在では昭和館で聞くことができるほか、ビクターエンタテインメントが発売している「戦中歌年鑑(1)昭和4~12年」にも収録されている。
1728年(享保13年)、オスメス2頭の象が江戸幕府8代将軍徳川吉宗に献上するために、広南(ベトナム)から連れてこられた。牝は上陸地の長崎にて死亡したが、牡ゾウは長崎から江戸に向かい、途中、京都では中御門天皇の上覧があった。上覧には官位が必要なため、牡ゾウには象広南従四位白象の官位が与えられている。江戸では徳川吉宗は江戸城大広間から象を見たという。その後、象は浜御殿にて飼育されていたが、飼料代がかかり過ぎるため、1741年(寛保元年)、中野村の源助という農民に払い下げられたが、翌年病死した。現在も馴象之枯骨(じゅんぞうのここつ)として、中野宝仙寺に牙の一部が遺されている。
ピタゴラス教団は古代ギリシアにおいて哲学者ピタゴラスによって創設されたとされる一種の宗教結社。南イタリアのロクリスに本拠を置き、数学・音楽・哲学の研究を重んじた。前5世紀ごろに盛んであった。ピュタゴラス学派ともいう。
西ヨーロッパ古代の思想としては珍しく輪廻転生の考え方を有していた。
イギリス人のヘンリー・フォールズ が、1880年にイギリスの科学雑誌ネイチャーに、指紋に関する研究論文を発表したのが、指紋研究の嚆矢といわれている。フォールズは宣教師として1874年に来日し、現在の東京都中央区築地に居を構え、キリスト教の布教を行うと共に、健康社(現在の聖路加国際病院)という医院を開設し、医療活動に従事した医師でもあった。
彼は日本人が拇印を利用して、個人の同一性確認を行っている事に興味を持った。また1877年にモース博士により発見された大森貝塚から出土した、数千年前の土器に付着した古代人の指紋が、現代人のものと変わらない事に感銘を受け、指紋の研究を始めたといわれている。フォールズの研究は日本滞在中に行われ、発表も日本からイギリスへ論文を発送して行われている。この為、フォールズの居住地跡には彼の業績を記念して「指紋研究発祥之地」の記念碑が建てられている。
幕末や明治初期にはアメリカはメリケンと呼ばれた。"American"の発音がそのように聞こえたためと考えられる。小麦粉はメリケン粉とも呼ばれるが、これも同様に"American"に由来する。
紫禁城は、中華人民共和国の北京に所在する旧王宮、歴史的建造物。面積は725000㎡あり、世界最大の宮殿の遺構である。現在は、博物館(故宮博物院)になっている。
2006年には観光客のためにスターバックスコーヒー故宮店が開店した(開店にあたっては「伝統か、便利さか」で議論を呼んだ)。
マリア・テレジアの夫婦生活は概ね円満だった。結婚の4日前にフランツにしたためた手紙が現在も残り、未来の夫への情熱的な想いを今に伝える。この手紙はラテン語やフランス語などの様々な言語で書かれ、彼女の教養の深さを窺い知ることができる。また夫の死後15年間、自らの死まで喪服を脱ぐことはなかったと言われる。
アイザック・ニュートンは、1696年には造幣局長官にもなっていた。
このとき非常に熱心に職務に当たったらしく、在職中は偽金造りが激減した。(偽金製造シンジケートの親分を捕らえて裁判にかけ、死刑にしたというエピソードが残されている。)また銀貨の金貨に対する相対的価値の設定において市場の銀の金に対する相対価値を見誤り、よりも低く設定したため銀貨が溶かされ金貨と交換されるという現象が起こり図らずしもイギリスが事実上の金本位制に移行する原因となった。
内科医で国民議会議員だったジョゼフ・ギヨタンが、受刑者に無駄な苦痛を与えず、しかも身分に関係せず同じ方法が適用できる、「単なる機械装置の作用」によって「人道的」な処刑を行うよう議会で提案した。
当初は、設計者の外科医アントワヌ・ルイの名前をとって「ルイゼット」や「ルイゾン」と呼ばれていたが、この装置の人間性と平等性を大いに喧伝したギヨタンの方が有名になり、ギヨタンから名前をとった「ギヨティーヌ」という呼び名が定着した。
ギヨタン自身もギロチンで処刑されたという俗説があるが、これは誤りである。
ブルートゥスに暗殺された際に残した「ブルートゥス、お前もか」という言葉は有名だが、これは後世イギリスのシェークスピアによって作られた戯曲『ジュリアス・シーザー』の台詞である。また、スエトニウスでは「我が子よ、お前もか」とされているが、どちらも実際には言っていないともいわれる。
屠蘇散は、一説には三国時代の名医・華佗の処方によるものと言われている。その処方は色々あるが、『本草綱目』では赤朮・桂心・防風・抜契・大黄・鳥頭・赤小豆を挙げている。現在では猛毒の鳥頭などは使わず、山椒・細辛・防風・肉桂・乾薑・白朮・桔梗などを用いるのが一般的である。健胃薬としての効能があり、初期の風邪にも効くという。
18世紀初めのイタリアでは、スパゲッティは民衆の食べもので、チーズだけをかけて手で頭上にかざして下から食べるものであった。
1770年代、庶民の風俗を深く愛したナポリ国王フェルディナンド4世が宮廷で毎日スパゲッティを供することを命じた。しかし上記のような民の作法がハプスブルク家出身の王妃マリア・カロリーネに承認されるはずもなく、賓客がより上品にスパゲッティを食べられるように、料理長ジョヴァンニ・スパダッシーノに命じて、もともと口に運ぶものでなく料理を取り分けるためにあったフォークを食器として使わせた。このとき、工学エンジニアのチェーザレ・スパダッチーニが、先が長く三本だったフォークをもとにして、口に入れても安全でスパゲッティがうまくからむ様に先を短く四本にしたフォークを、王のために考案したといわれている。
熊沢寛道(1889年12月18日 - 1966年5月11日)は、第二次世界大戦で日本が降伏した後に、正統な皇位継承者を主張した自称天皇たちの代表的存在である。大延天皇、また熊沢天皇の呼称で知られる。
熊沢の主張は以下の通りである。熊沢家は、足利氏に帝位を追われて尾張国時之島(愛知県一宮市)に隠れ住んだ南朝の後亀山天皇の子孫で、南朝9代目天皇である熊野宮信雅王に始まる家である。熊沢寛道の父、熊沢大然は既に明治時代に南朝皇裔承認の請願を行っていた。父の死後、熊沢は南朝第118代天皇としてひそかに即位したという。
国各地を遊説して南朝の正系が自分であることを説き、昭和天皇の全国巡幸の後を追い、面会と退位を要求したが、歴史学者によって熊野宮信雅王の実在は否定されてしまう。一方、昭和天皇が全国を行幸して国民を激励し、歓迎を受けている様を見て、世間は熊沢天皇に次第に冷ややかになっていった。
もちろん、勝手に名乗ってていただけ。
ジョシュア・エイブラハム・ノートン(1811年1月17日?テルフォード?‐1880年1月8日サンフランシスコ)はサンフランシスコの実業家。ペルー米への投機に失敗して破産した後、1859年に自ら「合衆国皇帝にしてメキシコの庇護者ノートン1世」と名乗った。
狂気にとらわれていたか、少なくともかなり常軌を逸していたにもかかわらず、彼は19世紀後半のサンフランシスコ市民からそのユーモアと「皇帝勅令」によって非常に親しまれた。合衆国議会の強制的解散という命令は議会にも軍隊にも完全に無視されたが、サンフランシスコ湾を横切る吊り橋の建設命令と並んで彼の最もセンセーショナルな命令だった。
また、学ランとも呼ばれる。学ランの「ラン」はオランダの「ラン」を指し、江戸時代に洋服をランダ(当時は鎖国中であり洋服を着ているのはオランダ人のみだったから)と呼んでいたことに由来する。
なお、いわゆる詰襟、学ランが「男子学生の制服」として採用されているのは日本とその影響下に韓国、大陸時代の中華民国ほどである。
人民服はかつて中華人民共和国の国民服ともいうべきものであった。1980年代はじめまでは、中国の成人男性のほとんど全てが着用しており、女性にも多く着られていたが、現在ではほとんど過去のものとなっており、現在の中国で人民服を手に入れることは難しいといわれる。
原型は孫文(孫中山)がデザインしたという中山服で、折り襟、2つの胸ポケットに2つの裾ポケットをもった(無いものもある)前開き5つボタンの上衣と、ズボンでセットになっている。頭には前つば付き帽子、所謂人民帽と呼ばれる帽子をかぶる。
孫文が日本亡命時代に住んでいた近くに、「中山」という邸宅があり、その字を気に入り、孫中山と号すようになった。「中山家」は由緒ある公家(華族)の家柄であり、明治天皇の母の生家にあたる。
中国や台湾には「中山大学」、「中山北路」など孫文に由来する路名や地名を多く残している。
一般にスイス銀行と呼ばれるのは秘密口座を持つプライベートバンクのことを指す。プライベートバンク自体は世界各国に多数あるが、スイスのプライベートバンクが世界の富豪に愛されてきたのは長い伝統と実績、それに先述の高い守秘義務規定がある為である。
スイス銀行法第47条B項には、「銀行職員が職務上知り得た情報に関して、守秘義務に違反した場合は刑事罰の対象となり、罰金刑または最高6ヶ月の禁固刑、もしくはその双方の刑事罰に処せられる」とされている。
また、口座維持費もかかることから最低預金は1000万円ほど(為替相場にもよる)預けなければならない。
カバは汗腺を持たないが、皮膚の表面からピンク色の粘液を分泌する。「血の汗」とも呼ばれるこの粘液は、紫外線を遮断し、直射日光から皮膚を保護する役割をもっている。また、殺菌作用があり、汚れた淡水中でも感染症に罹ることなく生活することができる。カバの皮膚は乾燥に弱く、水や泥などで絶えず湿らせていないと、表面がひび割れを起こしてしまう。
パナマ運河には一部幅の狭い区間があり、船舶が自力で航行できないため専用の電気機関車を用いて船を牽引する。この機関車には、日本の東洋電機製造製の車両が使用されている。運河の両側に線路が敷設され、両側の機関車からそれぞれワイヤーで引っ張って船を水路の中央になるように保ちながら牽引する。
これまで最も高額の通行料を支払った船舶は、2003年9月25日に通過した豪華客船「コーラルプリンセス」号の226,194ドル25セントである。また、最も低額の通行料は、1928年にパナマ運河を泳いで通過した、米国の冒険家であるリチャード・ハリバートンが支払った36セントである。
パナマ運河の通行料は、船種や船舶の積載量、トン数や船長など船舶の大きさに基づきパナマ運河庁が定めている。パナマ運河の通行料は1トンに対して1ドル39セント、平均しておよそ54,000ドルである。
エッフェル塔を設計した人物として知られるが、エッフェル塔の設計者はステファン・ソーヴェストル、および構造を担当した技師モーリス・ケクランであり、エッフェルはその建設を請け負ったエッフェル社の代表である。
ジョセファ・イロイロ(1920年12月29日-)は、フィジーの大統領。ラツ・ジョセファ・イロイロと表記されることもある。
ビチレブ島西部ビセイセイ村生まれ。2001年3月に大統領に就任。2006年に再任された。同年12月5日、クーデターが発生し、大統領の権限を奪われるが、2007年1月4日に返還され、現在も大統領を務めている。 しかし、大統領は、クーデターを主導したバイニマラマ国軍司令官よりの姿勢とされ、バイニマラマ国軍司令官の強い影響力があるとされる。
なお、今年で87歳と世界でも最高齢の指導者の一人である。
エドワード・ジェンナー(1749年5月17日 - 1823年1月26日)は、イギリスの医学者。天然痘ワクチンを開発したことで知られる。
ジェンナーは1796年5月14日、ジェームズ・フィップスという8歳の少年に牛痘を注射した。少年は牛痘にかかり、6週間後、回復した。その後、ジェンナーは少年に天然痘を接種した。しかし、少年は天然痘にはかからなかった。
細野 正文(明治3年10月15日(1870年11月8日) - 昭和14年(1939年)3月14日)は、明治期の官僚。作曲家の細野晴臣は孫。
細野は、1912年第1回鉄道院在外研究員としてのロシア・サンクトペテルブルク留学の岐路にてタイタニック号に日本人ではただ一人乗船していたが、タイタニック号は沈没。その際他人を押しのけて救命ボート(13号ボート)に乗ったとの誤報が広まり、新聞や教科書等で大きな批判を集めることとなる。この批判によって、翌1913年には鉄道院主事を免官となる。
細野は一切弁明をせずその不当な非難に生涯耐えた。しかし、死後の1941年になって細野が救助直後に残した事故の手記が発見され、1997年に手記等の調査から人違いであることが確認されて、正式に名誉回復がなされた。しかし、事故から時間がたちすぎている一方、名誉回復からの日が浅いために、日本人男性が非紳士的であるといった類の中傷の題材に日本人女性や外国人が用いることがある。事実、死後にも洞爺丸の海難事故の際にタイタニックの誤報が取り上げられ、再び国内でこの誹謗が蒸し返されたこともあった。それらの事情から、名誉回復がいまだ十分になされているとはいえないとの指摘もある。
アラン・チューリング(912年6月23日 - 1954年6月7日)はイギリスの数学者。チューリングは現代計算機科学の父と言われている。
第二次世界大戦の間、チューリングはブレッチレイ・パークにあるイギリスの暗号解読センターの政府暗号学校で働いた。彼はドイツの暗号を解読するいくつかの手法を考案し、英国の海上補給線を脅かすドイツ海軍のUボートの暗号通信を解読する部門 (Hut 8) の責任者となった。彼はエニグマの設定を見つけるための機械 bombe を発明した。
1952年、チューリングは同性愛の罪で逮捕された。彼は保護観察の身となり、ホルモン療法を受けさせられた。 1954年、死去。検死によると、リンゴに青酸化合物をたらして食べた自殺ということが判明した。
中国には諸葛亮の子孫が集まったとされる諸葛八卦村が浙江省蘭渓市にあり全員の名字が「諸葛」となっている。近年になって諸葛亮の家系図(彼らの先祖は諸葛亮の孫の諸葛京の家系とされる)が見つかるが、諸葛京自身も1800年も前の人物であるので実際に彼らが諸葛亮の子孫なのかどうかは家系図以外に実証する資料がない。諸葛亮が伝来させたという文化をよく守り、諸葛八卦村は中国から文化財として指定され観光地としても有名である。
鉛筆は、政宗の墓地である瑞鳳殿の発掘調査団長伊東信雄により発見された。政宗の鉛筆は、先端に黒鉛の塊を詰めるもの。政宗は1636年に死んだ副葬品の中から見つかったため、政宗の愛用品であったと考えられている。
発掘は1974年に行われ、鉛筆は発掘品の中から1988年に発見された。全長7.4cm、太さ0.4cm、芯は先に詰めてあり、芯の長さ1.3cm、最大直径0.43cm。キャップがついていた。キャップは木製で長さ3.0cm、直径0.6cm。鉛筆はさらに木筒に収められた状態で発見された。軸の素材はササで、日本産かその近種。芯は何かで固めてあるが、当時ヨーロッパで使われたと考えられる硫黄やアンチモンは検出されなかった。黒鉛の産地は不明。
1616年に死んだ徳川家康の鉛筆は、現存する日本で最も古い鉛筆で、削る種類のものである。
鉛筆は、久能山東照宮で、硯箱に入った状態で発見された。硯箱は 1664年に作られた宝物目録『具能山御道具之覚』に記載があるが、鉛筆の記載はない。硯箱に入っていたことから、家康のものとされる。
有名な「私はあなたが何を言っても賛成しないが、私はあなたがそれを言う権利を死んでも護るだろう。」という言葉は、自由主義の原則を端的に示した名文句として人々に記憶されているが、実はヴォルテールの著作や書簡にはみえず、S・G・タレンタイアの著作『ヴォルテールの友人』中の「 'I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it,' was his attitude now. 」の部分翻訳である。この後に「彼の態度はこう言っているようなものだ」と続いておりヴォルテール自身の言葉とはされていない。
幕末からイギリスに輸出していたみかんが薩摩産で、薩英戦争の後に和解交渉で今の鹿児島県を訪れた英軍人に、土産として贈られたのが温州みかんの英国上陸の始まりとされ、それがイギリスでの呼び名の由来のようだ。
温州みかんは、種子を生じない性質から縁起が悪いとされ、ほとんど栽培されることはなかった。しかし江戸時代後期よりその美味と種なしの利便性から栽培が行われる様になり、明治時代以降から徐々に紀州みかんに取って代わる様になった。「温州蜜柑」との呼称が一般的になったのもこの頃である。
ぺリティナクス帝暗殺後、ローマ帝国史上最も奇想天外な方法であるローマ皇帝の地位をかけた「公開競売」が親衛隊により開かれた。元老院ディディウス・ユリアヌスとぺルティナクスの妻の父が参加。最終的にディディウス・ユリアヌスが競り落として即位した。
しかし、その帝位就任の経緯からローマ市民からは尊敬されず、親衛隊には約束の金を払うことができず彼の支えるべき支持者を無くしていくありさまだった。
こうして皇帝就任から66日後に一人の士官によってユリアヌスは処刑された。
トマ=アレクサンドル・デュマ(1762年3月25日 - 1806年2月26日)はフランスの軍人。『モンテ・クリスト伯』などの作品で有名な作家のアレクサンドル・デュマ・ペール(大デュマ)の父親。
その息子、アレクサンドル・デュマ(802年7月24日 - 1870年12月5日)は、フランスの小説家。『椿姫』を著した同名の息子と区別するために、「父」を意味する père を付して大デュマ(Dumas, père)とも呼ばれる。
そのまた息子は、アレクサンドル・デュマ・フィス(1824年7月27日 - 1895年11月27日)はフランスの劇作家、小説家。父(大デュマ)と区別するために「小デュマ」、またはフィス(息子)を付けて呼ばれる。
国号のブラジルは、樹木のブラジルボクに由来する。ポルトガル人がこの地方でヨーロッパで染料に用いられていたブラジル(ブラジルスオウ、ブラジルはポルトガル語で燃えるように赤いの意)に似た木を発見し、それもまた同様に染料に使われていたことから木を「ブラジル」といい、地方そのものもブラジルと呼ぶようになった。
1682年、フランス領カナダから南下したフランス人ロベール・カヴァリエ・ド・ラ・サルがこの地をルイ14世にちなんでルイジアナと命名し、1699年にはフランス人が最初の植民を行った。
第27SS戦争猟兵大隊第3中隊のレミ・シュライネンSS一等兵が、1944年6月26日にたった一人でソ連軍の戦車、T34、10両とJS-1、4両を撃破して騎士十字賞を受けた。
ジュール=アンリ・ポアンカレ(1854年4月29日 - 1912年7月17日)はナンシー生まれのフランスの数学者。数学、数理物理学、天体力学などの重要な基本原理を確立し、功績を残した。
フランス第三共和制大統領・レーモン・ポアンカレはアンリのいとこ。
名称は18世紀のイギリス、サンドウィッチ村の伯爵ジョン・モンタギュー4世に因む。彼は無類のホイスト(トランプ遊びの一種)好きで、食事にかける時間も惜しむ程だった。そこで、ゲームの合間に片手で食事が取れるよう、パンに具を挟んだものを用意させていた事から、いつしかこれがサンドイッチと呼ばれるようになった。ただし、これは彼を「貴族のくせに、庶民の食べ物で済ませる」だらしない人物だと印象付ける為に彼のライバルが流したデマであると言う説もある。彼をサンドイッチの発明者とする話もよく聞くが、パンに具を挟むという料理自体は古代ローマのオッフラ、インドのナン等、古くからあったものである。
ベレンガリア・オブ・ナヴァール(1165-70年頃 - 1230年12月23日)は、イングランド国王リチャード1世の王妃。
王の戦傷死後、シトー修道会の尼僧院を建て、信仰生活に入った。一度もイングランドの土を踏まなかった。
バンジージャンプは、高層ビルや橋の上などといった高い場所から命綱一本で飛び降り、そのフォームの美しさなどを競う競技、あるいはアトラクション。
その起源はメラネシアの小国、バヌアツ共和国のニューヘブリディズ諸島にあるペンテコスト島で行われていた通過儀礼である「ナゴール」といわれている。
ちなみに、日本の芸能人の中で、最初にバンジージャンプを行ったのは日本テレビ系のテレビ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の島崎俊郎といわれている。
和歌や俳諧などを嗜むなど意外と風流人の面もあった。「豊玉発句集」などを自分で書して残すほど書き溜めていた。
* 公用に 出て行く道や 春の月
* 三日月の 水の底照る 春の雨
* さしむかふ 心は清き 水かゞみ
* 水音に 添てきゝけり 川千鳥
* 山門を 見こして見ゆる 春の月
* 梅の花 一輪咲いても 梅は梅
* 春の草 五色までは 覚えけり
* うくひすや はたきの音も つひやめる
* あはら屋に 寝て居てさむし 春の月
* しれば迷い しらねば迷わぬ 恋の道
* 水の北 山の南や 春の月
* 行く年の 月日の流れ 蚊帳の外
ルイ14世は、侍医ドクトル・ダガンの主張する「歯はすべての病気の温床である」という説に基づき、12回にわたる手術の末、すべての歯を抜かれた。しかも当時は麻酔もないため、歯はやっとこで引き抜かれ、抜いた後は真っ赤に焼けた鉄の棒を歯茎に押し当て消毒とした。その後、歯の無いルイ14世は、8時間以上かけてくたくたになるまで煮込んだホロホロ鳥や雉などしか食べられなくなった。また、常に胃腸の調子が悪くトイレに頻繁に駆け込んだ。時にはトイレから、家臣たちに命令を下すこともあったという。あまりにもトイレに行く回数が多かったため、衣服にも糞尿のにおいが染み付いてしまっていた。そのため家臣たちは、香水をしみこませたハンカチを鼻に当てて閣議に臨んだ。
手を拭く、汗を拭う等に使う、通常は四辺を一にする正方形の布。欧米では鼻をかむことに使われている。 四辺を一にするこの形は、ルイ16世王妃マリー・アントワネットが統一させたことが始まりとされる。
1793年10月15日、マリー・アントワネットは革命裁判で死刑判決を受け、翌10月16日、夫の後を追ってギロチン送りに処せられた。
斬首刑当日、マリー・アントワネットは特別な囚人として肥桶の荷車でギロチンへと引き立てられて行った(ルイ16世の場合は馬車だった)。コンシェルジュリーを出たときから、髪を短く刈り取られ両手を後ろ手に縛られていた。その最期の言葉は、兵士の足を踏んでしまった時に発した「ごめんあそばせ」だったと伝えられる。
マリー・アントワネット・ドートリッシュ(1755年11月2日 - 1793年10月16日)は、フランス国王ルイ16世の王妃。
フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際にマリー・アントワネット(またはルイ16世の叔母であるヴィクトワール王女)が「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」と発言したとする説を、日本では未だに信じている人間が多い。原文は“Qu'ils mangent de la brioche”、直訳すると「彼らにはブリオッシュを食べさせなさい」となる。お菓子ではなくケーキまたはクロワッサンと言ったという変形もある。なおクロワッサンは、彼女がオーストリアから嫁いだ時にフランスに伝えられたという伝説がある。
しかし、これはマリー・アントワネット自身の言葉ではない。ルソーの『告白』の第6巻に、ワインを飲むためにパンを探したが見つけられないルソーが、“家臣からの「農民にはパンがありません」との発言に対して「それならブリオッシュを食べればよい」とさる大公婦人が答えた”ことを思い出したとあり、この記事が有力な原典のひとつであるといわれている。
ルイ16世(1754年8月23日 - 1793年1月21日, 在位1774年 - 1792年)は、ブルボン朝第5代フランス王である。
1777年4月、ルイ16世は先天的性不能(包茎)の治療を受けた。
ルイ16世は狩猟と錠前造りが趣味で妻マリー・アントワネットに操られる無能な国王として描かれることが多い反面、国民の境遇に心を悩ませる心優しい王としても描かれることがあり、その実像は時代に翻弄された悲劇の王であったといえる。当時のフランス国民(パリ市民)にもヴァレンヌ事件までは絶大な人気を得ており、王の処刑の時も嘆く向きが少なくなかったと言われる。
ネルソン・アルドリッチ・ロックフェラー (1908年7月8日 - 1979年1月26日)。ニューヨーク州知事およびアメリカ合衆国第41代副大統領。
1979年1月26日、ロックフェラーは急死したが、後にこれが愛人宅における腹上死だったことが公になり大騒動になった。ロックフェラーの心臓発作に動転した愛人が、浮気発覚を恐れて友人宅などに電話をするなどして時間を浪費、救急通報が1~2時間も遅れたことが命取りとなった。
長屋という言葉で一般にイメージされるのは、下町の狭い路地に面して建てられた木造の住宅であろう。歴史的には、伝統的な都市住居として広く見られる形態であった。江戸時代において、中層以上の商家などは表通りに独立した店を構えていたが、それ以外の町人、職人などはほとんどが裏町の長屋に借家住まいであった。
今は大家というと持ち主の意味合いだが、大家は地主から委託された雇い人。
相撲は、日本の国技とされ、国際的にも行われている日本由来の武道・格闘技・スポーツ。プロ競技としては、日本国内で大相撲という形で興行が行われている。
今でも女性が土俵には上がることができないが、江戸時代、本場所の観戦すら女性は出来なかった。
江戸城(えどじょう)は、武蔵国豊嶋郡江戸(現在の東京都千代田区千代田)にある城。徳川十五代の征夷大将軍の居城であり、江戸幕府の最高政庁である。
天守閣は慶長十二年(1607年)に建てられ、明暦三年(1657年)の大火で焼失した後は再建されず天守台のみが残った。
日本語で「常に」を意味する語「四六時中」は、“4局面×6時間=24時間”を表す。
江戸時代は一日が12刻だたので、終日のことを「二六時中」(2局面×6時間=12時間)と言った。
徳川家康、秀忠、家光の三代で取り潰した大名は131家。逆らう大名などを積極的に取り潰し、幕藩体制をより強固なものとした。しかし、社会には浪人があふれ、社会問題化したので、6代将軍徳川家宣以降は出来るだけ廃絶しないよう方針を転換した。
よく、北町奉行・南町奉行といわれるが、実際に管轄区域を二分していた訳ではなく奉行所所在地の位置関係によりそう呼ばれた、また南北は正式な呼称ではなく公式には一律で町奉行とのみ呼ばれた。但し市中を巡回する廻り方同心は巡回すべき自身番を指定されておりそういった意味での管轄は存在した、しかしこの各同心が担当する自身番も江戸市中に散在する形で割り当てられており現今の警察の○○方面というような地域的にまとまったものではなかった。
日本の警察犬は以下の7種類。
・ジャーマン・シェパード・ドッグ
1880年頃、ドイツ中部および南部の山岳地方に存在した羊の番犬から高度な能力を有する軍用を目指して開発された犬種。第一次世界大戦でドイツ軍が軍用犬として採用し、優秀さが認められた。日本でも戦前、軍用犬として採用されている。
・ドーベルマン
19世紀末にドイツチューリンゲンのドーベルマンという人物が開発した犬種。軍用犬としても用いられた。断尾、断耳されている。
エアデールテリア
英国のテリア種で猟犬として使われていたが、英国、カナダなどで警察犬としての実績をもつ。
・コリー
英国北部スコットランド高地地方の原産で、テレビドラマ『名犬ラッシー』で有名になった。日本では1958年から警察犬に指定されている。
・ボクサー
ドイツで闘犬として作出された犬種で、断尾、断耳されている。
・ラブラドール・レトリバー
北欧や英国の原産で、カナダのラプラドール半島で海に落ちた魚等を回収する仕事に使われていた。盲導犬や麻薬捜査犬として採用されている。日本では1984年警察犬に追加された。
・ゴールデン・レトリバー
スコットランド原産で、警戒能力は弱いが足跡追跡や臭気選別能力が高い。日本では1992年に警察犬指定された。
犬はもともと狩をして獲物を取る動物。興奮してホルモン(アドレナリン)を出し、アドレナリンの匂いをかいで興奮し、速く走ることができる。また、獲物は人間の悲鳴のような甲高い声を出す、肉食獣はその声を聞いても興奮して追いかける。犬にはこれらのことから走るものを追いかけるという習性があり、目の前を通り過ぎるものに関しては追いかけようとする本能がある。
犬が尾を振るときは喜んでいるときだけではなく、怒っているときも振る。
攻撃するとき、たいていの動物は自分の体を大きく見せようとする。そのため喜んでいるときとはまた別に大きく振る。また、興奮しているときも尾を振る。
同じ犬種なのに色が違う、耳の形が違う、などの理由で呼び方が変わってしまう犬種がある。
国外では全く違う犬種として 扱われている国もある。
グレート・デーンとハールクイン。
パピヨンとファーレン 。
ニューファンドランドとランドシーア。
などがある。
人間は鼻に鼻毛が生えているが、犬には鼻毛が生えていない。
犬は人間と比べて鼻の穴がとても小さく、鼻の管も狭いので鼻毛があったら呼吸が詰まってしまうので生えていない。ほこりなどゴミを吸ってしまった場合は、くしゃみをする。人間のくしゃみと違って鼻から空気を出して、ゴミを出す。
死を悟ると死に場所を求めて姿を消すと言われるが、ネコは体調が悪化したり、致命的な傷を負った時などは、本能的な防御反応として、その場から逃げ、身を隠そうとする。場合によってはそのまま死んでしまうことから、そう思われがちなだけである。
ふぐの肉の特徴として、繊維質であることが挙げられる。このため普通の刺身では弾力がありすぎて噛み切ることが難しい。このため、切り身が透けて見えるほどの「薄作り」で身を細く包丁で引いて刺身にする。
番組内で検証した結果、「踊る大捜査線」シリーズでスピンオフ作品が作れる役柄の限界は「セリフがある登場人物なら誰でもいい」(2007年1月現在)。
スピンオフ作品またはスピンアウト作品とは、物語の主人公以外の登場人物を主人公に別の新しい物語をつくること。またはその作品。主に映画や漫画などに多く見られる。
(番組評価 満開)
番組内で検証した結果、雑種犬が家に戻ってきた時 自分の飼い主が見知らぬ血統書付きの犬をかわいがっていたら雑種犬の反応で最も多いのは「飼い主の側に座る」。
(番組評価 満開)
番組内で検証した結果、声優をキャスティングするプロフェッショナルが考える 工事現場の看板に最も合う声を持つ声優は「ブラッド・ピット」の日本語版を担当している堀内賢雄さん。
(番組評価 九分咲き)
番組内で検証した結果、デート中料理に髪の毛が入っていた時男性の器が大きく見える対応は「ユーモアのある表現で店員に伝え 料理を交換してもらう」。
(番組評価 八分咲き)
番組内で検証した結果、お受験教育を受けている子供たちが10円玉を落とした時に「落としたのは100円玉か500円玉か」と聞かれたら童話「金のオノ銀のオノ」と同じく正直に答えるのは100人中63人。
(番組評価 九分咲き)
番組内で検証した結果、心理学者が考えるバレンタインデー当日にできる女子からチョコをもらう可能性を高める方法は放課後もしくは仕事終わりに帰っていないことをアピールしつつカバンのファスナーを開けて置く。
(番組評価 八分咲き)
中国西部の陝西省やチベットなどに生息するキンシコウというサルがモデルになったといわれることもある。しかし、この説はキンシコウを研究する日本モンキーセンター世界サル類動物園長の小寺重孝が、NHKの動物の生態を紹介するテレビ番組『ウォッチング』で、「美猴王」を名乗った孫悟空のモデルにふさわしい美しいサルであり、もしかしたらこれがモデルなのかもしれないと紹介したところそれが一人歩きしたものである。
カテキンの効果をわかりやすく説明するために、「菌に勝つ」→「勝て菌」という説明をしたことから、「カテキンは勝て菌から名付けられた」という誤解がある。このカテキンは19世紀にドイツの植物学者ニース・バン・エーゼンベック(1776~1858)がお茶などの木から採れる「カテキュー(Catechu)」という成分から抽出される結晶に「カテキン(Catechin)」と名付けたのが最初。
溶岩の上にできたので地中に磁鉄鉱を多く含み、方位磁針に1・ 2度程度の若干の狂いは生じるが、俗に言われているように「方位が分からなくなる」ほど大きく狂うものではない。また、派生形として「樹海の中ではデジタル時計の表示が狂う」「車の計器や放送機器に異常が発生する」等とも言われているが、科学的な根拠に乏しく、まったくの偽情報である。
同様に「GPSも使えない」という俗説もあるが、これは密生した樹木に電波が遮られるためであり、磁鉄鉱とは無関係である。
番組内で結婚3年目の夫1000人を対象に妻のオナラを聞いた時期を調査した結果、結婚3年目の夫婦で妻が夫の前でオナラをしだす時期は結婚1年目が多い。
(番組評価 九分咲き)
平成17年10月期の売れ筋ランキング上位10銘柄の残り汁から選び、シェフのアンドレ・パッション、ベルナール・アンクティル、クリストフ・ポコ、ピエール・プリジャンの各氏検証してもらった結果、フランス料理の一流シェフが最も美味しいと認めるフランスパンに合うカップラーメンの残り汁は「日清・カップヌードルしお」。
(番組評価 九分咲き)
ラグビーの起源は、1823年、イングランドの有名なパブリックスクールのラグビー校でフットボールの試合中、ウィリアム・ウェッブ・エリスがボールを抱えたまま走り出したことだとされていたが、これは後世のロマンティックな創作だという説が有力である。
19世紀初頭からボールを持って走る「ランニングイン」が始まったのは確かだが、その第1号がエリス少年だったかどうかは不明であり、手を使うこと自体はそれ以前でも許されていた。エリス少年自体は実在の人物で、オックスフォード大を卒業して神父となり、フランスで没したことが確認されている。南仏コートダジュールの小都市・マントンに墓地がある。
平成17年9月の売れ筋ランキングベスト10の銘柄の残り汁を使って検証した結果、理の専門家が最も美味しいと認める冷や飯に合うカップラーメンの残り汁は「日清麺職人 醤油」。
(番組評価 八分咲き)
コピーライターの小林秀雄、箭内道彦、中村猪佐武、佐倉康彦、マエキタミヤコ各氏に協議して検証してもらった結果、日本を代表するコピーライターが考える失恋した女性を慰めつつ自分に振り向かせる「惚れメール」の文章は「おーい ここにいるよ」。
(番組評価 九分咲き)
初期の緊急番号は「112」。しかし、まだ電話が普及して間もない頃だったため間違い電話が多発したため、まだ地域番号で使われていなかった「9」を使うことで間違いを減らそうとして現在の「119」になった。
今回のメンバーは、日本大学の大村政男名誉教授、筑波大学の太田信夫名誉教授、大谷女子大学の井上徹教授、東京富士大学の浮谷秀一教授、麻布大学の田之内厚三教授。
番組内で協議した結果、心理学者が考える彼氏に「自分以外に好きな女性がいるか」さりげなく確かめる最も効果的な心理テストの問題は彼氏に楽園をイメージさせ「自宅のガレージに愛車が何台停まっているか」を聞く。
(番組評価 九分咲き)
中国料理の「烤羊肉」(カオヤンロー)に影響を受けたと見られる日本料理である。
なお、その名称から、「ジンギスカンが遠征の陣営で好んで食べた」「ジンギスカン率いるモンゴル軍兵士が自分の兜で羊肉を焼いたのが起源」とするなどの俗説があるが、羊肉を常食するモンゴルにいかにもありそうな料理として拡大解釈されたものであるとみられる。
自由の女神の歴史をまとめた「Statue of Liberty」に「彼女の名は移民達の母…彼女の穏やかな目にはニューヨーク港の入口が映っている」と書かれている。
野球と名付けたのは正岡子規ではなく中間庚(ちゅうま・かのえ)さん。中馬は明治時代野球の名門だった第一高等学校のベースボール部員で、明治27年に初めて「野球」と名付けた。
今回のメンバーは、東京慈恵会医科大学附属第三病院大腸肛門学科の高尾良彦医長、臨床発達心理学の成田弘子淑徳短期大学名誉教授、日本大学の大村政男名誉教授、東肛門科胃腸科クリニックの東光邦院長。
番組内で協議の結果、心理学者と肛門科医師が考えるウンコをしたい時にもうちょっと我慢できる方法は「ウンコは腸に留まるぞ」と言い10秒ごとに肛門の筋肉を締め静かに歩く。
(番組評価 九分咲き)
番組内で検証した結果、お受験教育を受けた子どもたちが「このはし渡るべからず」と書かれている橋に直面した時一休さんと同じく「橋の真ん中」を渡って解決するのは100人中0人。
(番組評価 九分咲き)
赤ちゃんを出産した直後の夫婦200組に協力してもらい、調査した結果、お父さんが生まれてきたばかりの赤ちゃんの中から本能的に自分の子を見つけられる確率は約81%。
(番組評価 九分咲き)
今回のメンバーは、横浜国立大学の高木秀明教授・淑徳短期大学の成田弘子名誉教授・麻布大学の田之内厚三教授・南山大学の蛭田アッセマ庸代教授・東京富士大学の浮谷秀一教授・武蔵野大学の生田倫子博士。
番組内で協議した結果、心理学者が考える彼氏が浮気をしているかどうかバレない様にチェックをする最も効果的なカマのかけ方は女性が自分のピアスを取り出し男性に「これ誰の?」と聞く。
(番組評価 八分咲き)
2005年7月20日に放送された『トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~』内のコーナー「ガセビアの沼」では、全国理容衛生同業組合連合会の意見を根拠に、「赤は動脈、青は静脈、そして白は包帯というのはガセ」と紹介。「サインポールは元々中世のイギリスで、当時の理髪師が外科医も兼ねていたことから血液を表す赤と包帯を表す白の2色で生まれた。」「理髪師と外科医を別けるため理髪店は赤白に青を加える動きもあったが定着せず」「その後アメリカで同国の国旗(星条旗)のカントンの色である青が加えられたものであるという説を紹介した。
日本全国の20代の女性とその母親500組に協力してもらい、検証した結果、母と娘が第一印象だけで男性のタイプを選ぶとき一致する確率はおよそ14%。
(番組評価 八分咲き)
一般に言われる「体脂肪が燃焼するのは運動開始から20分後から」は厳密には正しくない。
体脂肪の分解は極論すれば安静時でも行われている。
重要なのは「運動初期に使用されるエネルギーは、性質上迅速にエネルギーに変換されやすい糖に由来する割合が多く、ゆっくりと変換される脂肪由来の割合が少ない」ということである。ゆえに、運動による体脂肪の消費を目的とするならある程度持続的な運動をすることが望ましく、そのめやすが20分という数字である。
10代と20代の女性5000人に選んでもらって、検証した結果、デートの待ち合わせで彼女に一番かっこいいと思われる彼氏のポーズは座って足を開き両ヒザの上に両ヒジをおくポーズ。
(番組評価 九分咲き)
正確には洞毛と呼ぶ。毛根部分に感覚神経や血管が密に分布しており、非常に鋭敏で、先端に何かが少し触れても感じ取れる。口の周りだけでなく、目の上、顔の横にもあり、それらの先端を結ぶと顔を一周する大きな円になり、これで狭い通路を通り抜け得るか否かを判断できるので、獲物の追跡、敵からの逃走に重要な役割を果たす(これを否定する説も一部で出されている)。また、長さは若いほど長く、歳をとったものほど短い。またひげは生え変わる。
「ネコはヒゲの幅より狭い場所は通れない」というのはガセ。
日本全国の10代から30代の女性の双子70組に協力してもらい、検証した結果、双子の女性が第一印象だけで男性のタイプを選ぶ時同じ人を選ぶ確率はおよそ73%。
(番組評価 八分咲き)
100組のカップルに協力してもらい、検証した結果、デート中彼女の鼻に鼻クソがついていた時彼氏が相手に最もさりげなく伝える手段は「鼻に食べカスがついているフリをしてふき取る」。
(番組評価 九分咲き)
番組内で検証した結果、「松崎しげるの肌の色」を絵の具で作る場合の割合は朱色45%黄色25%白16%緑14%。
この人、真冬に見たことがありますが、やっぱり黒かった。
(番組評価 満開)
舌には味蕾(みらい)という甘味や苦味、また塩辛味や酸味などすべての味を感知する組織が舌全体にあるので、「舌の甘味や苦味を感じる場所はそれぞれ完全に分かれている」というのはガセ。
全国各地で2000人にアンケート調査を行った結果、「お母さんが言うつまらないギャグ」で最もよく使われるものは美人を見て「私の若い頃にそっくり」。
(番組評価 八分咲き)
アフリカ・カメルーン北部の山岳地帯に住むウジラ村のポドコ族に協力してもらい、検証した結果、ピンク・レディーの「UFO」を知らない踊りの好きな民族が考えた「UFO」の踊りは「天に捧げる祈り」。
(番組評価 八分咲き)
番組内で全国の都道府県で検証した結果、80歳以上の人が孫に言われて一番ショックな言葉は「お金ちょうだい」。
第1位 お金ちょうだい 93人
第2位 その話聞いた 78人
第3位 くさい 65人
第4位 なんでハゲてるの? 54人
第5位 何しに来たの? 46人
第6位 じじい 38人
第7位 嫌い 29人
第8位 おじいちゃんち行きたくない 18人
第9位 もう行っていい? 16人
第10位 何もくれないの? 11人
(番組評価 九分咲き)
よく「北半球では南側から日が当たる為、暖かい南側は発育が盛んで年輪の目が広く、北側は目が詰まっているので、切り株があれば大体の方位がわかる」という説があるが、これは誤りである。実際は、木が斜面に生えている場合に、木が谷側に傾かないように谷側がより盛んに成長する為、谷側の目が広く山側の目が詰まって育つので平坦な土地の場合、目が一定と言うことになる。
今回のメンバーは、認知心理学からは、宮城大学の真覚健教授。解剖学からは、東京医科歯科大学の佐藤達夫名誉教授。芸術学からは、京都造形芸術大学の中田泉助教授。歯科学からは、新潟大学の寺田員人助教授。人間行動学からは、立命館大学の野澤和典教授。機械工学からは、東京理科大学の小林宏助教授。
番組内で協議した結果、トリビアの種No.079 表情について研究している学者が考える「はいチーズ」よりも良い笑顔になる言葉は「はい本気」。
(番組評価 九分咲き)
ぐっすりという言葉は、江戸時代の「黄表紙・即席耳学問」という書物の中で、「すっかり」「十分に」の意味として使われている。時代を考えると、『Good Sleep(グッド スリープ)』からきている」というのはガセ。
ピストルは、45口径のスミス&ウェッソンPC945。射程距離は5メートル、ティッシュペーパーは最も薄いものを1枚とカウント。
番組内で検証した結果、ピストルの弾を止められるのはティッシュペーパー2354枚。
(番組評価 九分咲き)
今回のメンバーは、認知心理学の分野から筑波大学の太田信夫教授、社会学からは東京都立大学の江原由美子教授、人間の精神・神経を分析する医学からは慶應義塾大学の作田勉医学博士、動物行動学からは関西福祉科学大学の甲田菜穂子博士、人間行動学からは関西国際大学の太田裕彦教授、看護学からは新潟県立看護大学の朝倉京子博士。
番組内で協議した結果、人間の心理や行動を学問として研究している人達が考える最も母性本能をくすぐる男性の仕草は「プリンを開けようとして何気なく裏側を覗き込む」。
(番組評価 九分咲き)
株式会社サンリオは、主にソーシャルコミュニケーションギフト商品の企画・販売、グリーティングカードの企画・販売を事業とする株式会社。
公式サイトにもあるサンリオの公式な説明として、スペイン語で「聖なる河」を意味する San Rio に由来するとしている。文明の発祥が大河のほとりにあったように、文化を興す河となることを願ってつけたというものである。
爪楊枝(つまようじ、妻楊枝)は、先の尖った木製の細い棒。単に楊枝(ようじ)とも言う。
日本では先端の反対側に装飾が施されている物が多い。装飾はこけしをモチーフにしており、当初は日本製爪楊枝製造機の精度の高さをアピールするために付けられるようになったという。使い捨ての安い物だと数本の溝が入っているだけだが高級な物は着色されていたり紋様が入っていることもある。使い捨ての場合は装飾部分を折って、箸置きのようにして爪楊枝を置いたり、使用済みであることを表示したりするのに用いることが出来るが、本来の用途ではない(あくまでも装飾である)。
アフリカ、チャドのアムサキネ村の人々に考えてもらった結果、野球を知らない人々に野球道具一式を渡し一週間考えてもらい出来たのはケンケンで捕虜を取り合う競技とのこと。
(番組評価 九分咲き)
今回のメンバーは、心理学からは日本大学の大村政男名誉教授・筑波大学心理学系の太田信夫教授・東京国際大学の志津野知文名誉教授の3人、言語学からは上智大学外国語学部菅原勉教授・専修大学文学部日本語日本文学科の永瀬治郎教授・同志社大学言語文化教育センターの山内信幸教授。
検証した結果、心理学と言語学の学者が考える「最も引っかかりやすい10回クイズ」は「ニシン」と10回言わせ「赤ちゃんが生まれることは?」と聞く。
(番組評価 八分咲き)
番組内で、担担面(エースコック)、一平ちゃんみそ味(明星)、渡る世間は鬼ばかり醤油味(サッポロ一番)、麺づくり濃厚豚骨(マルちゃん)、わかめラーメン(エースコック)、ラ王しょうゆ(日清)、スーパーカップ豚骨ラーメン(エースコック)、爽麗中華しょうゆ(日清)、麺職人みそ(日清)、金ちゃんヌードル(徳島製粉)、麺づくり合わせみそ(マルちゃん)、塩らーめん(サッポロ一番)、一平ちゃんとんこつ(明星)、みそラーメン(サッポロ一番)、一平ちゃんしょうゆ(明星)、チキンラーメン(日清)、麺づくり鶏ガラ醤油(マルちゃん)、カップヌードルカレー(日清)、カップヌードルシーフード(日清)、カップヌードル(日清)の中から検証した結果、中国の宮廷料理人が一番美味しいと思うカップラーメンは「日清カップヌードルシーフード」。
(番組評価 九分咲き)
今回のメンバーは、立正大学社会福祉学科の臨床心理学者、村尾泰弘(むらお・やすひろ)助教授、行動心理学的なアプローチからは、山脇学園短期大学家政科の杉山尚子(すぎやま・なおこ)助教授、社会性と心理との関係を探る、文教大学人間科学部の本田時雄(ほんだ・ときお)教授、目白大学短期大学部子ども学科の発達心理学者、小野寺敦子(おのでら・あつこ)教授、関西外国語大学外国語学部の言語心理学者、上地明彦(うえち・あきひこ)助教授、淑徳短期大学の臨床発達心理学者、成田弘子(なりた・ひろこ)名誉教授、性格心理学からのアプローチは日本大学の大村政男(おおむら・まさお)名誉教授、対人関係の問題を専門とするカウンセラーとしての立場からは、武蔵野大学人間関係学科の生田倫子(いくた・みちこ)博士。
番組内で協議した結果、心理学者が考える最高の口説き文句は「来年のこの日も一緒に笑っていよう」。
(番組評価 九分咲き)
番組内で検証した結果、80歳以上のお年寄りが嘘だと思うことわざ第1位は「果報は寝て待て」。
1位 果報は寝て待て 96人
2位 老いては子に従え 81人
3位 渡る世間に鬼はなし 68人
4位 金は天下の回りもの 57人
5位 石の上にも三年 49人
6位 長いものには巻かれろ 41人
7位 好きこそ物の上手なれ 33人
8位 三人寄れば文殊の知恵 21人
9位 残り物には福がある 18人
10位 早起きは三文の得 13人
(番組評価 九分咲き)
メンバーは、動物学から探る京都大学理学部の蔵琢也(くら・たくや)博士、歴史学的に追求する成蹊大学の羽鳥徹哉(はとり・てつや)名誉教授、科学的に研究する広島大学大学院高等教育研究開発センターの北垣郁雄(きたがき・いくお)教授、哲学で捉える新潟大学人文学部の山内志郎(やまうち・しろう)教授、社会学から見つめる関西大学社会学部の木村洋二(きむら・ようじ)教授。
番組内で検証した結果、人が笑うという行為を学問として研究している人達が作る「一番面白くないギャグ」は成立しているダジャレ3連発の後に「このセメント、セメント」と言う。
(番組評価 八分咲き)
ヒグマはネコ目(食肉目)クマ科に属する哺乳類である。ホッキョクグマと並びクマ科では最大のサイズを誇る。また、日本に生息する陸棲哺乳類(草食獣を含む)でも最大の種である。
番組内で検証した結果、ヒグマが一番好きな焼き魚は「メザシ」。
(番組評価 八分咲き)
日本の各都道府県100人ずつ、合計4700人にどんなことを言われたのかを聞いてみた結果、お母さんが子供を叱る時最もよく使う口癖は「ウチはウチ ヨソはヨソ」。
第1位 「ウチはウチ ヨソはヨソ」(416人)
第2位 「あなたはお兄(姉)さんなんだから」(305人)
第3位 「どうして叱られてるのか分かる」(255人)
第4位 「いつまでもそうしてなさい」(221人)
第5位 「お母さんそんな風に育てた覚えはないわよ」(198人)
第6位 「お父さんに言うからね」(165人)
第7位 「あなたのためを思って言ってるのよ」(125人)
第8位 「ああ言えばこう言う」(98人)
第9位 「私が子供の頃はそんなことしなかったわよ」(87人)
第10位 「謝って済むなら警察はいらないの」(68人)
(番組評価 九分咲き)
246kmを走るギリシャのスパルタスロンの2002年優勝者、席家良一さんの協力の下、実験した結果、手紙をポストに入れるより自分で走って届けた方が早い距離は220km未満。
(番組評価 満開)
片山晋呉プロの協力で、ビニール傘、子供用の傘、紳士用傘を使い、パー4のホールで最も少ない数でカップに入れられる傘を調べた結果、傘でパー4のコースを回った時に最も良い結果が出るのは紳士用傘で13打。
(番組評価 九分咲き)
日本刀の刃先をマッハ3の水流で切断する実験を行ったが、日本刀は切れず、また刃こぼれも無かった、日本刀とウォーターカッターが対決したら日本刀が勝つ。
(番組評価 満開)
全都道府県2820件を調べた結果、主婦のへそくりの隠し場所で一番多いのはタンスの中。
順位
第1位 タンスの中 903人
第2位 本の間 426人
第3位 額の裏 276人
第4位 台所周り 218人
第5位 冷凍庫の中 204人
第6位 車の中 171人
第7位 寝具の中 136人
第8位 自分のバッグの中 48人
第9位 冷蔵庫の中 42人
第10位 米びつの中 36人
(番組評価 八分咲き)
固定された日本刀に向かってピストルを撃ち、日本刀が折れたりすればピストルの勝ちで、弾が二つに割れれば日本刀の勝ち、というルールで対決。検証の結果、日本刀とピストル対決したら日本刀が勝つ。
(番組評価 満開)
1年間使った教科書を中学生2000人から国語・理科・社会・英語・音楽の5教科、合計10000冊の教科書を借りて調査。番組内で検証の結果、中学生の教科書で一番多い落書きは「吹き出し」。
(番組評価 九分咲き)
メンバーは動物学から探る京都大学理学部の蔵啄也博士、歴史学的に追求している成蹊大学近代文学研究者の羽鳥徹哉教授、科学的に研究している広島大学大学院の高等教育研究開発センターの北垣郁雄教授、哲学で捉える新潟大学人文学部の山内志朗教授、社会学から見つめる関西大学社会学部の木村洋二教授。
検証の結果、「人が笑うという行為」を学問として研究している人達が作る1番面白いギャグは「青年の主張で性欲の強さを主張する」。
(番組評価 満開)
サンシャイン国際水族館の生物を築地の魚屋さん5人に目利きしてもらった結果、サンシャイン国際水族館の魚に魚屋さんが値段をつけると約112万8010円になる。
(番組評価 八分咲き)
アナウンサー336人のアンケート調査の結果。
第1位 高速増殖炉もんじゅ 75人
第2位 手術中 47人
第3位 貨客船万景峰(マンギョンボン)号 26人
第4位 取りざたされる 24人
第5位 白装束集団 21人
第6位 出場 20人
第7位 栃乃洋(とちのなだ) 18人
第8位 老若男女 13人
第9位 暖かく 12人
第10位 火星探査車 10人
(番組評価 八分咲き)
日本人がこれさえあれば何杯でもご飯が食べられる一品で最も人気のあるものは明太子。
順位
1位 明太子 675票
2位 納豆 328票
3位 キムチ 233票
4位 イカの塩辛 223票
5位 海苔の佃煮 195票
6位 梅干し 140票
7位 焼たらこ 132票
8位 白菜の漬け物 127票
9位 焼き海苔・味付け海苔 123票
10位 いくら 121票
(番組評価 八分咲き)
各都道府県の男女100人、合計4700人を調査した結果。
1.電話にでんわ 949人
2.トイレにいっといれ 547人
3.布団が吹っ飛んだ 493人
4.猫が寝ころんだ 427人
5.ヘタなシャレはよしなしゃれ 314人
6.アルミ缶の上にあるみかん 220人
7.コーディネイトはこーでねーと 213人
8.カレーはかれぇ 145人
9.レモンの入れもん 119人
10.内容がないよう 105人
(番組評価 八分咲き)
指の付け根から手首までの長さと生命線の比率を表す。統計学に基き様々な2000人の生命線率を調べると、平均は0.72。全国100歳以上の人140人の生命線率の平均は1.03。
(番組評価 八分咲き)
剣道代表は第36回全日本剣道選手権大会チャンピオンの林朗さん、フェンシング代表はフェンシング日本代表選手山本幸治さん。ルールを統一して検証結果、フェンシングが勝った。
(番組評価 五分咲き)
マス席に置かれている座布団は縦60cm、横54cm、重さは1kg。
男子円盤投げで69m69cmの記録で優勝したリトアニアのヴィルギリウス・アレクナ選手に投げてもらったところ、19m85cm飛んだ。
(番組評価 八分咲き)
各都道府県それぞれ100人ずつ、合計4700人の調査結果。
第1位 ビートたけし 325人
第2位 アントニオ猪木 261人
第3位 田中邦衛 258人
第4位 志村けん 219人
第5位 浜崎あゆみ 196人
第6位 ルパン三世 141人
第7位 長嶋茂雄 109人
第8位 目玉おやじ 95人
第9位 田中角栄 87人
第10位 田村正和 83人
(番組評価 八分咲き)
全国主要7大都市300店舗、計2100店舗で調査。
「結果」
ゴルゴ13(337) サラリーマン金太郎(318) 美味しんぼ(198) こちら葛飾区亀有公園前派出所(179) ドラゴンボール(146)
ということで、日本の理容室に一番置いてある漫画は「ゴルゴ13」。
(番組評価 八分咲き)
東京・青山の301店舗をまわって、その日一日に切られた髪の毛を回収した結果、日本で一日に切られる髪の毛の長さは火星までの距離とほぼ同じとなった。
(番組評価 満開)
ギザ十(ぎざじゅう)とは、日本で1951年(昭和26年)から1958年(昭和33年)にかけて発行された十円硬貨を指す(1956年(昭和31年)は未発行)。硬貨の縁にギザギザがあることから、広くこのように呼ばれている。ギザギザがあるのは1948年(昭和23年)から1949年(昭和24年)の五円硬貨、1948年(昭和23年)から1950年(昭和25年)の一円硬貨等にも見られるように、かつて高額硬貨であったことの名残とされる。
ギザ十は、その識別の容易さから従来コイン収集の対象とされてきた。しかし、実際の取引市場においては、その発行枚数の多さ故、美品でない限りは全く取り合ってもらえないのが現状である。すなわち、美品より劣る並品(完全に酸化・磨耗された状態)の場合、稀にプレミアを付けて販売されることはあっても、買取の際には取引対象とされない、あるいは額面通りとされるのが通常である。
(番組評価 八分咲き)
文字の太さが均一な「平成ゴシック体」の文字の中央に糸をはわせてそれぞれの線の長さを調べた結果、ひらがなの中で文字の線が最も長いのは「ぬ」とのこと。
(番組評価 八分咲き)
北の国から(きたのくにから)は、北海道富良野市を舞台にしたフジテレビジョン制作のテレビドラマ。1981年から2002年にかけて放送。
シリーズで純は「~なわけで」21年で52回と実はあまり多く言っていない。
(番組評価 八分咲き)
納豆の糸を多く伸ばすには、無風で気温20度くらい、5~7月並みの湿度の場所、混ぜる際には必ず割り箸使用とのこと。豆は中粒か大粒使用とのこと。混ぜる回数は7~10回程度。
その結果、納豆の糸は12m60cm伸びる。
(番組評価満開)