1728年(享保13年)、オスメス2頭の象が江戸幕府8代将軍徳川吉宗に献上するために、広南(ベトナム)から連れてこられた。牝は上陸地の長崎にて死亡したが、牡ゾウは長崎から江戸に向かい、途中、京都では中御門天皇の上覧があった。上覧には官位が必要なため、牡ゾウには象広南従四位白象の官位が与えられている。江戸では徳川吉宗は江戸城大広間から象を見たという。その後、象は浜御殿にて飼育されていたが、飼料代がかかり過ぎるため、1741年(寛保元年)、中野村の源助という農民に払い下げられたが、翌年病死した。現在も馴象之枯骨(じゅんぞうのここつ)として、中野宝仙寺に牙の一部が遺されている。