三笠は、大日本帝国海軍の戦艦で、敷島型戦艦の四番艦。奈良県にある三笠山にちなんで命名された。同型艦に敷島、初瀬、朝日など。1904年(明治37年)からの日露戦争では連合艦隊の旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗した。現在は、横須賀市の三笠公園に記念艦として保存されている。
「trivia」とは「雑学・些末な」という意味。ムダな雑学紹介します。
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三笠は、大日本帝国海軍の戦艦で、敷島型戦艦の四番艦。奈良県にある三笠山にちなんで命名された。同型艦に敷島、初瀬、朝日など。1904年(明治37年)からの日露戦争では連合艦隊の旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗した。現在は、横須賀市の三笠公園に記念艦として保存されている。
万里の長城の総延長は6352kmに及ぶ。その大きさから「月から見える唯一の建造物」とも言われていたが、2004年12月8日に宇宙空間から肉眼で観測することはできないと中国科学院により否定された。
おしろい (白粉) とは、本来は女性が顔や首筋などに塗布して肌を色白に見せるために使用した化粧品で、その種類に応じて、粉おしろい、水おしろい、練りおしろいなどに分類される。
白粉に鉛白が使用されていた時代、鉛中毒により、胃腸病、脳病、神経麻痺を引き起こし死に至る事故が続発。 また、使用した母親によって胎児が死亡する場合もあった。 1934年(昭和9年)には、鉛を使用した白粉の製造が禁止された。
1946年マーシャル諸島のビキニ環礁で米国によって、第二次世界大戦後初の原爆実験が行われた。その報道の直後、1946年7月5日レアールがビキニと命名してこの水着を発表したと言われる。「初めて見た人々が受けた多大な衝撃を、ビキニ環礁での水爆実験になぞらえ」と言われることがあるが、これは誤りである。ビキニ環礁での最初の水爆実験は1954年で、この水着の発表より後である。
月の潮汐作用により、主に海洋と海底との摩擦(海水同士、地殻同士の摩擦などもある)による熱損失から、地球の自転速度がおよそ10万年に1秒の割合で遅くなっている。また、重力による地殻の変形によって、地球-月系の角運動量は月に移動しており、これにより月と地球の距離は、年約3.8センチメートルずつ離れつつある。
かつて「味の素の原料は石油だ」という噂が存在した。実際、グルタミン酸は石油由来原料のアクリロニトリルからも生成することができ、かつてはこの方法を用いて味の素が作られていた時代もあった(つまりこの噂は事実であったわけである)。
現在「味の素」の原料には天然のサトウキビ由来のものが使われている。
コカ・コーラの独特の「くびれ」のある瓶(コンツアー・ボトル)は、女性のボディーライン、又は、この当時流行したスカートを参考にデザインされたものと言われているが、テレビ番組「がっちりマンデー!!」においてコカ・コーラ特集が放映された際に、この話は事実ではなく、実際はカカオ豆の形を参考にしたものであると説明された。
「コーラを飲むと歯や骨が溶ける」という都市伝説があるが、極論を好む一部の人が、抜けた歯をコーラに漬けっぱなしにして放置した実験の結果、抜けた歯が溶けていたもの。
オーストラリアで用いられている、長大なトラックのことをロードトレインと呼ぶ。コンテナを積載したトレーラーを大型トラックに複数連結し、ハイウェイを利用して大量の貨物を輸送する。その長さは100mを超えることもある。
ロードトレインは主に、鉄道網の発達していない地域に大量の物資を輸送するための手段として用いられている。特に近年まで鉄道が完成していなかったダーウィンに向けてのアデレードからの輸送に多く利用された。オーストラリアの大陸中央部の道路は直線部分が非常に長いため、100mを超えるような車両でも時速100kmという高速で走行可能であり、この地域では多くのロードトレインが見られる。
人民服はかつて中華人民共和国の国民服ともいうべきものであった。1980年代はじめまでは、中国の成人男性のほとんど全てが着用しており、女性にも多く着られていたが、現在ではほとんど過去のものとなっており、現在の中国で人民服を手に入れることは難しいといわれる。
原型は孫文(孫中山)がデザインしたという中山服で、折り襟、2つの胸ポケットに2つの裾ポケットをもった(無いものもある)前開き5つボタンの上衣と、ズボンでセットになっている。頭には前つば付き帽子、所謂人民帽と呼ばれる帽子をかぶる。
鉛筆は、政宗の墓地である瑞鳳殿の発掘調査団長伊東信雄により発見された。政宗の鉛筆は、先端に黒鉛の塊を詰めるもの。政宗は1636年に死んだ副葬品の中から見つかったため、政宗の愛用品であったと考えられている。
発掘は1974年に行われ、鉛筆は発掘品の中から1988年に発見された。全長7.4cm、太さ0.4cm、芯は先に詰めてあり、芯の長さ1.3cm、最大直径0.43cm。キャップがついていた。キャップは木製で長さ3.0cm、直径0.6cm。鉛筆はさらに木筒に収められた状態で発見された。軸の素材はササで、日本産かその近種。芯は何かで固めてあるが、当時ヨーロッパで使われたと考えられる硫黄やアンチモンは検出されなかった。黒鉛の産地は不明。
1616年に死んだ徳川家康の鉛筆は、現存する日本で最も古い鉛筆で、削る種類のものである。
鉛筆は、久能山東照宮で、硯箱に入った状態で発見された。硯箱は 1664年に作られた宝物目録『具能山御道具之覚』に記載があるが、鉛筆の記載はない。硯箱に入っていたことから、家康のものとされる。
幕末からイギリスに輸出していたみかんが薩摩産で、薩英戦争の後に和解交渉で今の鹿児島県を訪れた英軍人に、土産として贈られたのが温州みかんの英国上陸の始まりとされ、それがイギリスでの呼び名の由来のようだ。
手を拭く、汗を拭う等に使う、通常は四辺を一にする正方形の布。欧米では鼻をかむことに使われている。 四辺を一にするこの形は、ルイ16世王妃マリー・アントワネットが統一させたことが始まりとされる。