熊沢寛道(1889年12月18日 - 1966年5月11日)は、第二次世界大戦で日本が降伏した後に、正統な皇位継承者を主張した自称天皇たちの代表的存在である。大延天皇、また熊沢天皇の呼称で知られる。
熊沢の主張は以下の通りである。熊沢家は、足利氏に帝位を追われて尾張国時之島(愛知県一宮市)に隠れ住んだ南朝の後亀山天皇の子孫で、南朝9代目天皇である熊野宮信雅王に始まる家である。熊沢寛道の父、熊沢大然は既に明治時代に南朝皇裔承認の請願を行っていた。父の死後、熊沢は南朝第118代天皇としてひそかに即位したという。
国各地を遊説して南朝の正系が自分であることを説き、昭和天皇の全国巡幸の後を追い、面会と退位を要求したが、歴史学者によって熊野宮信雅王の実在は否定されてしまう。一方、昭和天皇が全国を行幸して国民を激励し、歓迎を受けている様を見て、世間は熊沢天皇に次第に冷ややかになっていった。