1881年、世界一周旅行で、来日したハワイ王のカラカウアは、ハワイ王国の安泰のため、姪のカイウラニ王女を山階宮定麿王にとの縁談を日本政府に持ち出した。日本政府は、アメリカとの対立を避けるために、この縁談を「良友 睦仁」の御筆の入った親書を持って丁重に断った。もし、この縁談が実っていたら、ハワイ王国は、もっと長く存続していたであろうとされている。その一方、太平洋戦争が早まった可能性や、日露戦争におけるアメリカの好意的中立を得ることもできず、ハワイとともに日本も列強の植民地にされた可能性も指摘されている。