徳川光圀(とくがわ みつくに、寛永5年6月10日(1628年7月11日) - 元禄13年12月6日(1701年1月14日))は、江戸時代の常陸国水戸藩2代目藩主である。
少年時代は町で刀を振り回したりする不良な振る舞いを行っていたが、光圀18歳の時、司馬遷の『史記』伯夷伝を読んで感銘を受け、これにより学問に精を出すこととなる。しかしながらその強い性格、果断な本質は年老いても変わることはなかった。
ちなみに、日本の歴史上、最初に光圀が食べたとされるものは、ラーメンをはじめ、餃子、チーズ、牛乳、牛乳酒、黒豆納豆がある。肉食が忌避されていたこの時代に、光圀は5代将軍徳川綱吉が制定した生類憐れみの令を無視して牛肉、豚肉、ヒツジなどを食べていた。
またオランダ製の靴下(日本最古)を使用したり、ワインを愛飲するなど南蛮の物に興味を示し、朱舜水を招き、海外から朝鮮人参やインコを取り寄せ、育てている。蝦夷地探索のため黒人を二人雇い入れ、そのまま譜代の家臣にしてしまってもいる。
こっちのほうがトリビア!
(番組評価 60/100へえ)