桑田真澄投手と仲が良く、息子のミドルネームに「クワタ」と名付けたエピソードでも知られる。娘のカーリー・ガリクソンはプロテニスプレーヤー。
1986年にシンシナティ・レッズに移籍し、15勝12敗の成績を残す。翌年ニューヨーク・ヤンキースに移籍するが水が合わず、日本の読売ジャイアンツの2億円のオファーを受け海を渡る。結局1988年、1989年の2年間、読売ジャイアンツに在籍。糖尿病を患いながらも2年間で21勝(14敗)を挙げる。糖尿病は激しい運動は無理、のイメージを持つ人々にとってインスリンを打っての登板は衝撃的であった。この時の日本生活を振り返り、ガリクソンは「奇妙だった」「唯一見た英語の単語は“Sony”と“Mitsubishi”だけだった」と後述している。
(番組評価 71/100へえ)