米マサチューセッツ州アッシュフィールド生まれ。アマースト大学卒業。ドイツのゲッティンゲン大学留学後、アマースト大学教授。南北戦争には北軍少佐として従軍。米マサチューセッツ農科大学第3代学長に就任。(初代、第2代学長は開学前に辞任しているため、クラークが実質的な初代学長である)専攻は園芸学、植物学、鉱物学。任期中に日本政府の熱烈な要請を受けて、1876年(明治9年)7月に札幌農学校教頭に赴任する。
8ヶ月の札幌滞在の後、翌年の1877年5月に離日した。 帰国後は学長をやめ、新規大学の開学を企画するが失敗。その後、知人とともに鉱山会社を設立するが、会社は破産。出資者から詐欺罪で告訴され、すべての判決が出そろう前に心臓病でこの世を去った。
(番組評価 88/100へえ)