バスティーユは残虐非道な監獄であると認識されているが、実情はかなり異なる

一般に、バスティーユは残虐非道な監獄であると認識されているが、実情はかなり異なる。部屋は5m四方であり、天井までは8mある。窓は7mの高さにあり、鉄格子がはまっているものの、外の光は十分に入り込む。また囚人は、愛用の家具を持ち込むこともでき、専属のコックや使用人を雇うことすら可能だった。食事も豪勢なものであり、昼食に3皿、夕食には5皿が出され、嫌いなものがあれば別のものを注文することができた。牢獄内ではどのような服装をしようが自由であり、好きな生地、好きなデザインで服をオーダーできた。また図書館、遊戯室なども完備されており、監獄内の囚人が病気などになった場合は国王の侍医が診察した。このため、他の監獄で病人が出たとき、病院ではなくバスティーユに搬送することがあった。 このように環境が整っているため、出所期限が訪れても出所しなかったり、何ら罪を犯したわけでもない者が債権者から逃れるために入所したこともある。

1774年のルイ16世即位からバスティーユ襲撃の1789年まで、収容された人数は合計288人であるが、このうち12人が自ら望んで入所している。